普段からビームスなどでラルディーニをはじめとするイタリア服をご覧になるなど、ファッションに対して高い美意識をお持ちのK様。これまで百貨店でパターンオーダーを何度か経験されてきたものの、スラックスのシルエットや丈感に「もっとこうしたい」という違和感を抱えていらっしゃったそうです。ご自身の理想とするスタイルを細部まで具現化できるテーラーをお探しの中、当店のホームページをご覧になり、ご相談にお越しくださいました。
ご来店時ヒアリング
会社を経営されているK様。普段はジャケットスタイルが多いとのことで、今回は控えめな柄のグレーでシックなダブルのスーツをご検討でお越しいただきました。着用頻度も考えて、季節を問わず活躍する通年素材をご希望です。お話を伺っていて特に印象的だったのが、これまでのオーダーに対する「もどかしさ」でした。パンツのシルエットが思った以上に細くなりすぎてしまったり、丈のバランスがどうもしっくりこなかったりと、ご不便を感じていらっしゃいました。「こちらの好みや希望を伝えているつもりでも、なかなか意図が伝わらないのか、思い通りの雰囲気に仕上がらない」とお話しくださり、「そのあたりのニュアンスまで汲み取って仕上げてもらえるだろうか?」という不安もお持ちでした。私自身もイタリアの既製品をたくさん着ているので、K様が大切にされている感性や、それが形にならないもどかしさは痛いほど分かります。そのあたりの想いをお話しし、「お持ちのイメージはしっかり共有できていますので、どうぞご安心ください」とお伝えしました。
スーツ生地のご紹介
K様のご要望をお伺いし、私からご案内させていただいたのは、イタリア・ドラッパーズ社の「グリーンヒルズ」というコレクションのグレー無地です。使用されているのは、15.5マイクロンという通常のウールでは考えられないほど細い原毛を使ったSuper 160's。カシミヤ原毛が15マイクロン前後と言われていますから、まさにカシミヤに匹敵する柔らかさと肌触りを誇る極上のウール素材です。しかもタテヨコともに双糸で織り上げられているため、しなやかでありながら耐久性と防シワ性にも優れています。上質でありながら必要以上に神経質にならず日常でお召しいただけるのも大きな魅力です。K様にも大変気に入っていただき、こちらの生地でお仕立てすることになりました。 実は、この生地はSuper 180'sへのアップデートに伴い現在は廃盤となっており、今では手に入らない大変希少なもの。廃盤になる前に当店で現物を買い付け、大切に保管していた生地でした。 ※生地のこだわりや詳細については、こちらのコラムでも詳しくご紹介しております。
DRAPERS Green Hills のコラムを見る
採寸&フィッティング
まずゲージ服をご試着いただいた際、ボタンを留めると胸元が開いてフロントが突っ張る現象が見られました。 一方、ボタンを外してみるとフロントがやや閉じ気味になります。合わせてボタンとボタンホールの平行関係を見てみると、ボタンの位置が下がっていました。 K様は姿勢が良く胸をぐっと張ったご体型をされています。こういった体型の場合、胸幅が広くなるのでボタンを留めたときに胸が浮きやすく、フロントが突っ張り気味になります。また、胸を張った反り気味の体型は背筋が伸びて重心が後ろにかかるため、極端に言うと服が後ろに引っ張られたような状態になり、ボタンを外すとフロントが閉じ気味になります。また、肩傾斜も影響しています。右肩がやや下がり気味のため、ボタンを留めることで下がり気味の右の前身頃を持ち上げる格好になり、これが胸の開きとフロントの突っ張りの要因のひとつになっていました。
前で予測した原因を後ろ姿の状態からさらに確認していきます。まず背中の中央付近に生地の余りがあり、ヒップ周りにやや当たりが見られます。これは姿勢が良く胸を張った(反り気味の)体型に見られる現象です。続いて肩傾斜を確認すると、右側に肩下がりによるダキしわが入っているのが分かります。こうして前後双方からチェックすることで原因を正確に特定していきます。加えて、袖の後ろ側にもシワが見られます。これはK様のお体のラインとジャケットの袖振りが合っていないためです。これも反り気味の姿勢と肩傾斜が重なった複合的な要因によるものでした。
横から見てみると、袖に斜めシワが入っているのが確認できます。これは、お体に対してジャケットの袖が前振りに付いているため、後ろに引っ張られる形でシワが出ている状態です。また、前身頃がやや吊り上がって見えますが、これも胸を張った姿勢により、服全体が後方に引きずられていることが原因です。 このように、前・後・横から全身のバランスを立体的に観察することで、どのような補正を入れるべきか、その方向性を組み立てていきます。


ご試着いただいたサンプルは、ヒップ周りの寸法自体はお体に合っているものの、股上がやや不足しており、それに伴い尻ぐりに食い込みが生じているため調整が必要です。正面から確認すると、クリースラインがやや外側に逃げ気味になっています。これはパンツの脇線の長さが体に対して不足しているため、外側に引っ張られていることが原因です。一方、後や横からのラインを見ると、右膝の後ろ側に生地のたわみ(当たり)が見られます。 これはパンツがふくらはぎに当たることで、本来なら真下へとキレイに落ちるはずの生地が行き場を失い膝裏に溜まってしまっているためです。
ジャケット・パンツともに、フィッティングで確認したこれらの課題と体型の特徴を踏まえ、ここから仮縫いの工程へと進めていきます。
スーツ仮縫い

フィッティングから約1ヶ月後に仮縫いが完成しました。フィッティングの際に確認した状況を加味して組み上げた仮縫いのスーツを改めてご試着いただくお時間をいただきました。
背中央の生地の余り、ダキしわ、袖のシワ、前身頃の吊り上がりは、ゲージサンプル試着時よりも改善され、すっきりとしたラインに仕上がってきています。一方で、まだヒップ周りには当たりが見られるため、微調整を加えます。また、肩傾斜の補正が入って体にフィットしてきた分、首の付け根の下あたりに「ツキしわ」が少し出るようになりました。洋服がお体に近づいたからこそ見えてくる変化ですので、この点も本縫いに向けてしっかりと調整を加えていきます。
正面を見てみると、ウエストがやや小さめに仕上がっていることに加え、打ち合いが不足して突っ張りが生じています。打ち合いとは、ボタンを留めた際に左右の前身頃が重なり合う部分のことです。写真のボタン周りをご覧いただくと、引っ張るようなシワが出ているのがお分かりいただけると思います。胸を張った姿勢の場合、服全体が後ろに引っ張られるため、どうしても打ち合いの重なりが不足しやすくなります。仮縫いの段階でもあらかじめ調整を入れていましたが、まだ少し不足していたため、本縫いに向けてさらに修正を加え、お体に心地よくフィットするジャケットに仕上げていきます。


股上を深くし、尻ぐりのカーブを調整したことで、初回に見られた食い込みはきれいに解消されました。また、脇線の長さを修正したことでクリースラインも真っ直ぐキレイに落ちています。ふくらはぎへの当たりも改善し、膝裏や内股周りのもたつきもすっきりと治まりました。一方で、ゲージ服の段階からウエスト寸法を少し広げた影響により、ヒップ周りにややゆとりが残っていました。そのため本縫いでは、ヒップ周りをここから1cm削った寸法でお仕立てすることにしました。
スーツ完成




初めてのご来店から約4ヶ月。フィッティングと仮縫いの工程を経てスーツが完成いたしました。ジャケットは、初ゲージ服で見られたフロントの突っ張りや前身頃の吊り上がり、袖のシワなどが解消されました。スラックスもクリースラインが真っ直ぐキレイに通り、ヒップ周りや膝裏・内股のもたつきもスッキリと収まりました。全体のシルエットや裾丈の長さについても、K様のご希望通りのバランスでお仕上げすることができました。しなやかで美しいドレープを持つ極上の生地だからこそフィッティングの調整は非常にシビアでしたが、お体に自然と沿う完成度の高い一着に仕上がりました。
スーツの仕上がり紹介とお客様の声
初めてご来店いただいた際、「これまで他店でオーダーされたスーツは、パンツのシルエットや丈感がしっくりこなかった」とお伺いしていました。そこでご試着の際、「気になされていたパンツのシルエットや丈感はいかがですか?」とお伺いしたところ、「イメージ通りです」とおっしゃっていただけました。その後、追加でフォーマル用のブラックスーツのご注文までいただけたことが、一着目の仕上がりを気に入っていただけた何よりの証拠だと思います。追加でご注文をいただけたことは勿論光栄なことですが、まずは今回の一着目を気に入っていただけたことが本当に嬉しいです。
今回のスーツに合わせて白無地のシャツとネクタイもお選びいただきました。シャツは、当店でお取り扱いしている蝶矢シャツのアトリエメイドによるオーダーシャツです。裁断から最終仕上げまでを一人の職人が手掛ける丸縫いで仕立てられ、3日で2着、日産1着にも満たない超スロープロダクトな逸品です。ネクタイはアット ヴァンヌッチのセッテピエゲ。黒地にベージュの繊細なストライプが配されたデザインで、一見するとシンプルなストライプに見えますが、実は表情の異なるストライプ柄で構成されています。K様がご希望されたクラシックなグレースーツに、控えめながらもこだわりと個性を落とし込んだ、洋服好きやスーツ好きが唸る玄人好みのスタイリングに仕上がりました。
Super 160'sのクリーンで繊細な表情にあえて取り入れたのが、装飾的なダブルステッチと手縫いのフラワーホールです。一見すると対極にあるテイストですが、これが不思議なほど見事に調和します。繊細で美しい生地感だからこそ手仕事によるステッチやフラワーホールがくっきりと際立ち、こうした味わい深い意匠を添えることでSuper 160'sの持つ柔らかでエレガントな表情がより一層引き立ちます。
繊細な表情を持つ生地だからこそ、マニカカミーチャによる肩先のギャザーが映えます。肩先に寄せられたギャザーが美しいドレープを生み出し、エレガントな雰囲気を際立たせています。前述のダブルステッチや手縫いのフラワーホールも同様ですが、随所に職人の手の温もりが宿るような意匠を取り入れるセンスは、流石の一言です。服への造詣が深くご自身のこだわりをしっかりお持ちのK様ならではのディテール選びです。
K様、この度は誠にありがとうございました。今回のスーツが、長くご愛用いただける大切な一着となりましたら幸いです。追加でご注文いただきましたブラックスーツ、カシミヤジャケットも、お気に入りの一着として末永くご愛用いただけますことを心より願っております。
オーダーに関するご相談お問い合わせ
今回のように「これまでのオーダーでしっくりこなかった」「もっと着心地やシルエットにこだわりたい」といったご相談も大歓迎です。ご来店いただける方はもちろん、遠方にお住まいの方もどうぞ気兼ねなくご相談ください。距離に関わらず最善の方法を考え、対応させていただきます。メールでの丁寧なヒアリングや綿密な打ち合わせを通じ、ご納得いただける仕上がりまでのプロセスをご提案いたします。お一人おひとりの細かなご要望やお体の特徴に真摯に向き合い、当店でお仕立てする一着が特別なものとなるよう精一杯お手伝いさせていただきます。まずはお気軽にお問い合わせくださいませ。














